糖尿病治療、なぜ「最初の数年」が一生を左右するのか? 〜10年後、20年後に後悔しないための「遺産効果(レガシーエフェクト)」の話〜
はじめに:今の「頑張り」は、未来への貯金です
「糖尿病と言われたけれど、自覚症状もないし、少しぐらい数値が高くても大丈夫だろう」 「仕事も忙しいし、治療は定年してから本腰を入れればいいか」
もし今、あなたがそう思っているなら、ぜひこの話を読んでいただきたいのです。
糖尿病の治療は、長く続くマラソンのようなものです。時には疲れてしまうこともあるでしょう。しかし、医学の世界には「治療の開始が早ければ早いほど、そして早期にしっかり治療したほうが、その効果は数十年先まで『貯金』のように残る」という驚くべきデータがあります。
今日は、ある有名なUKPDSという研究の結果について、わかりやすくお話しします。
体は過去の血糖値を記憶している?「遺産効果」とは
糖尿病治療には「遺産効果(レガシー・エフェクト)」という言葉があります。「遺産」と聞くとお金の話のようですが、これは体の「記憶」の話です。
簡単に言うと、「糖尿病と診断された初期の段階で、しっかりと血糖値を下げておくと、その良い影響が『遺産』として体に残り、10年後、20年後に心筋梗塞や脳卒中などを防いでくれる」というものです。
逆に言うと、「最初の数年間、高い血糖値を放置してしまうと、後から慌てて治療を頑張っても、過去の『負の遺産』が消えず、合併症のリスクが下がりにくくなる」ということでもあります。
歴史的な研究「UKPDS」が教えてくれたこと
この事実を証明したのが、イギリスで行われた「UKPDS(United Kingdom Prospective Diabetes Study)」という大規模な研究です。これは2型糖尿病の治療において、とても重要な研究です。
どんな研究だったのか?
糖尿病と診断されたばかりの患者さんを、以下の2つのグループに分けました。
- 徹底的に治療するグループ(薬を積極的に使ってHbA1cをしっかり下げる)
- 従来の治療グループ(食事療法が中心で、数値が高くてもそこまで厳格に下げない)
この状態で10年間、経過を見ました。
10年後の結果(研究終了時)
当然ながら、「徹底的に治療したグループ」の方が、目や腎臓の合併症が少ないという結果が出ました。ここまでは予想通りです。
本当の驚きは「その後」にありました
研究が終わった後、両方のグループの患者さんはそれぞれの主治医のもとに戻り、同じような一般的な治療を受け続けました。 その結果、両グループの血糖値(HbA1c)の差はすぐになくなり、ほぼ同じ数値になりました。
しかし、さらに10年後(研究開始から20年後)、そして30年後まで追跡調査をしたところ、驚くべきことがわかったのです。
- かつて徹底的に治療していたグループは、その後血糖値が上がってしまったとしても、心筋梗塞の発症率が低く、死亡リスクも低かったのです。
つまり、「昔、頑張ったこと」を体が覚えていて、数十年後の命を守ってくれたのです。
【治療のタイミングとリスクの差】




※出典:Holman RR, et al. N Engl J Med. 2008;359:1577-1589. (UKPDS 80) より改変
この図が示す通り、「悪くなってから頑張る」のと「最初から頑張る」のでは、将来の結果が全く違うのです。
皆さんへ、今伝えたいこと
年齢や現在の状況によって、受け止め方は少し違うかもしれません。
- 若年世代の方へ あなたは今、人生で一番重要な「投資期間」にいます。今、お薬を飲んだり食事を節制したりするのは面倒かもしれません。でも、今のその努力は、70代、80代になった時に「元気で孫と遊ぶ」「旅行に行く」という形で必ず返ってきます。
- 高齢世代の方へ 「もう手遅れか」なんて思う必要はありません。この研究は「早めの介入がベスト」ということを示していますが、「今日がこれからの人生で一番若い日」であることに変わりはありません。今からでも血糖値を安定させることは、今の元気な体を維持し、合併症の進行を食い止めるために非常に大きな意味があります。
おわりに:主治医と「未来」の話をしましょう
糖尿病の治療は、今日の採血結果を良くするためだけに行うのではありません。 10年後、20年後のあなたが笑っていられるようにするために行うのです。
「薬を増やすのは怖いな」「インスリンは嫌だな」と思う気持ちはわかります。ですが、もし主治医から「しっかり下げましょう」と提案があったら、それはあなたの「未来の体」を守ろうとしているサインです。
ご自身の体の「遺産(レガシー)」を良いものにするために、一緒に治療に取り組んでいきましょう。


- 執筆者
- 山内 雅裕
ぎふ糖尿病・内科クリニックやまうち
院長/糖尿病専門医・内科医
当クリニックでは、糖尿病をはじめとする生活習慣病を専門としていますが、総合内科医としても、さまざまな病気の診療に対応しています。
- 所有資格
日本内科学会 認定内科医
日本糖尿病学会 糖尿病専門医


